この世に生を受けて

昭和41年9月26日、愛知県高浜市吉浜町(当時の町名)で、建築業を営なむ家の次男とて誕生したのが、そう、この私です。丙午生まれの天秤座、血液型はA型。

子供の頃は作業場が遊び場でした。木切れに釘を打ったり、木を積み木がわりにしてみたり、木でゴルフクラブらしき物を作って、ゴルフごっこしてた事もありました。本当のウッドですね、というかプロゴルファー猿にパクられましたが。(笑)そんな感じで木のおもちゃは身近にたくさんありましたね。小学生の頃からなんとんとなく、大工さんを意識してたかもしれません。

その頃の思い出は、夕方、風呂を焚べる事です。何の事かわかりますか?薪を燃やして風呂のお湯を沸かすんです。冬はそのひと時がとても好きでした。暖かくて、炎を見てるとなんだか落ち着くような気がしました。そして、後ろの方では仕事から帰って来たじーちゃんととーちゃんが、ガチャガチャ回すチャンネルのテレビで大相撲を観てましたね、日本酒で一杯やりながら。

当時の我が家の台所は土間でした。ダイニングテーブルの下には防空壕なるものが存在してましたよ。信じられませんね。風呂は五右衛門風呂、木の板を沈めながら入るやつです。いつの時代やねんって感じですよね。

銀ちゃんと火災

中学生になり、他の子と同じように少年ジャンプとか読んでましたね。同年代の人しかわからないと思いますが、覚えてますかね、本宮ひろ志さん作、「硬派 銀次郎」後「山崎銀次郎」カッコよかったなあ。

262-2%e9%8a%80%e6%ac%a1%e9%83%8e銀次郎は、文字通り硬派で身体能力がずば抜けてて、ケンカが強い。男の子ならみんな憧れるんじゃないかな。で、銀ちゃんは大工の仕事に就いたんですよ。もうお分かりですよね、なぜ私が大工になろうと思ったか。単純ですね。(#^.^#)まあ、これがキッカケの一つであった事は間違いないですね。かな?

この頃、誰もいなかった作業場から火災が発生、材料(この日に限って大量の材木が納入されたそうです)機械、道具、車、建物等々が一瞬で消失しました。相当な痛手で両親はこの後、随分苦労したんだと思います。自分は当時、作業場の二階に部屋を造ってもらって住んでいましたから、自分の物も全て失いました。その時間は学校に行っていたので、学生服はありましたが、その他の服はありませんでしたから、家ではとーちゃんの作業服で過ごしていましたね。(ちょっと大人になったような気分でした)中学生だった自分には、何の手助けする事も出来ずに、申し訳なく思っています。

職につくまで

高校に入り、あんなことやこんなことを覚え、勉強するわけでもなく特に目的もなく、ダラダラと過ごしていました。当時、岡崎にローラースケート場があり、電車の定期があったので、日曜日は通ってましたね。ですから光genjiなみに滑れますよ。なんで通ってたかというと、女子がいっぱい居たからです。男子校だった自分は、女子とのふれあいのために行ってましたね。(#^.^#)

高校もある程度時が経てば進路を決めなくてはいけません。勉強は嫌いでしたから当然、進学なんてことは考えません。やっぱり大工になろう、そう勝手に決めました。で、職業訓練校に入学することにしました。親には相談もしてません。「俺、職業訓練校行って大工になるから」って告げただけです。もしかしたら、告げてもないかもしれませんが。そして高校卒業後、訓練校建築科に入学、建築科は中学卒クラスと高校卒クラスがあり、当然高校卒クラスへ入学したんですが、新卒は3人、あと7人くらいはちょっと年上の方々で、1クラス計10人でした。いろんな出会いもあり、まあ楽しく1年間過ごせました。

そしていよいよ就職です、ここはとーちゃんに相談、「知らん親方の所でよそ飯食ってこい」ということで、求人が来てた、お隣、刈谷市のまったく知らない大工さんの所に修行に行く事になったのでした。そして、春から大工見習になる年の2月でした、初代浅二さん他界。運命でしょうか、バトンを渡されたかのような気持ちでした。そういえば亡くなる数日前でした、厳しくて叱られたことしかなかったじーちゃんから「ありがとう」って言われました、最初で最後の「ありがとう」でした。

大工らいふ

19の春、いよいよ大工人生のスタートです。親方は昔ながらの、絵に描いたような職人さんタイプでした。見た目は丸くて、ボーズ頭にハチマキ、乗馬ズボン、短気で酒好き、手鼻の名人。どうです?完璧な職人像でしょ。

親方の口癖は「習うより慣れろ」でした。技を盗めトいう事ですね。ですから、あまり教えてくれません、ていうかあまり現場に来ません。(笑い)怒られそう。

で、いろいろ教えてくれたのは、兄弟子ですね。独立した3人の兄弟子がいて、そこへ手伝いに行かせてもらって、学ばせていただきました。感謝です!

そうこうしてるうちに、4年程経ったころでしょうか、親方から「どうだ、一棟一人でやってみんか?」もちろん「やらせてもらいます。」と、小さい家でしたが、最初から最後まで一生懸命に仕事しました。なんとか無事に完成して良かったです。(^^;)      今でも、そのお宅の近くを車で通ると思い出します。

そんなこんなで、約五年で年季が明けたということとなり、晴れて実家の大浅建築へ入社となりました。

そして、25で結婚、子宝にも恵まれ二男一女の親父になり、仕事や遊びに励みました。35歳の時、とーちゃんが大病を患い入院。突然、「今から全部、お前がやれ」と言われ、まったく何にも引き継がないまま、バトンタッチ。経理などは0からのスタートみたいなもんでしたが、何とかなるもんです。

そして、勉強の毎日で四苦八苦していますが、皆さんに助けられ、現在へと続いております。

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